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知っているようで意外と知らない、大工の歴史や豆知識&トリビアを紹介!

設計図に沿って建材を加工し、木造の住宅や建造物をつくり上げる大工職人。その起源は約1400年前の飛鳥時代にまでさかのぼるといわれ、江戸時代には花形の職業として一目置かれていたそうです。

また、ひと口に大工といっても、担っている仕事はさまざま。比較的新しいジャンルの型枠大工から、伝統の技を現代に受け継ぐ宮大工、建物以外のモノをつくる建具大工や家具大工など、多種多様な専門ジャンルに分かれています。

そこで今回は、日本における大工の歴史をたどりながら、大工にまつわる豆知識&トリビアを一挙にご紹介。知っているとちょっと自慢できる「ツウ」な話題も満載です!

「大工の神様」と称される歴史上の有名人物とは?

みなさんは「大工の神様」と呼ばれる歴史上の有名人物とは、誰だか知っていますか?

それは……かつて1万円札の顔としても登場したあの人物、そう「聖徳太子」です! 聖徳太子といえば遣隋使の派遣をはじめ、冠位十二階・十七条憲法を定めた飛鳥時代の政治家として知られていますが、なぜ「大工の神様」と呼ばれているのでしょうか。

一説によると、聖徳太子は現代に伝わる大工道具の「差し金(曲尺)」を中国から持ち込み、日本の職人たちに広めたといわれています。また、建築に携わる職人の育成や組織づくりに努め、法隆寺をはじめとする寺院の建立にも尽力したことから、建築・土木の守護神として信仰され、「大工の神様」と称されるようなったのでしょう。

ちなみに、聖徳太子がつくった建築技術者の組織では、土にかかわる職人を「左官」、木にかかわる職人を「右官」と呼んでいたそうです。このうち左官は、塗装職人の名称として現在も残っていますが、右官は後に大工という名称に変わり、さまざまな専門ジャンルに枝分かれしていきました。

この右官に代わる「大工」という名称が登場したのは、奈良時代に入ってからのこと。寺社や朝廷の建築物を担当する木工寮という役所がつくられ、その中の職人のランクとして「大工」「小工」「長上工」「番匠工」という役職が置かれました。 つまり、もともと大工は「職人の長・上位者」という位置づけで使われていたのです。

その後、室町時代に入ると、上位職人は「棟梁」という呼び名に変わり、建築に携わる木工職人全般を大工と呼ぶようになりました。さらに、この頃から大工職人の仕事が細かく分けられるようになり、宮大工や建具大工などの専門職種が登場しました。

「大江戸の花形職人」の厳しい下積みとバラ色の人生

そして江戸時代になると、大工をはじめとする職人の仕事の種類は、約140種類にも及んだそうです。なかでも、伝統の技と気概で江戸の華と称されたのが、大工・左官・鳶(とび)の三職です。彼らは江戸の街を築き上げる「華の三職」としての誇りを持ち、街の人々からも一目置かれる花形的な存在でした。

とはいえ、花形職人になるための下積み生活は、精神的にも肉体的にも相当の苦労が強いられたようです。たとえば大工になるためには、12~13歳で親方の家に住み込みで弟子入りし、朝の拭き掃除から洗濯、三度の飯炊き、夜の風呂焚きまで、家の雑用をこなすのが日課でした。もちろん、まだまだ現場に出ることは許されません。こうした下働きを1~2年経た後、ようやく現場に出られるようになるものの、親方から大工道具の名前を教わる程度で、あいかわらず仕事の内容は現場掃除などの雑用ばかり。

それだけに、20歳を過ぎても半人前以下の扱いで、ちょっとでもヘマをすると親方から怒鳴られ、ビンタや食事抜きなどの体罰も日常茶飯事だったといいます。それでも辛抱して10年以上修業を積み、一人前の大工を目指したというのですから気の遠い話です。「華の三職」たる誇りと気概は、この厳しい試練を乗り越えてきた自信にあるといっても過言ではないでしょう。

その分、一人前の大工になって独立すれば、待っているのはバラ色の人生。当時の大工の賃金は1日あたり540文だったといいますから、一般町民の賃金300文と比べると相当の高収入です。しかも1日の実労働時間は4時間程度で、早朝や日没以降の仕事には時間外手当が付くなど、労働条件もかなり恵まれていたようです。

また、当時の江戸の街では頻繁に火事が起きたため、家を建てる大工は次々と仕事が舞い込んで引っ張りだこ。どんどん稼いで羽振りがよくなれば、当然ながら夜の遊びも粋(派手?)に決めて、「江戸っ子は宵越しの銭はもたねえ!」となるわけです(笑)。今でも大工職人というと気風のいい粋なイメージがありますが、こうした江戸の職人気質が受け継がれているのかもしれませんね。

全国各地へ広まった大工の「職能集団」や「大工町」

さらにこの時代、江戸以外の地域にも大工の活躍の場が広がり、地方の街づくりに携わる職能集団も生まれました。なかでも有名なのが、岩手県の大工集団「気仙(けせん)大工」です。気仙とは岩手県の太平洋沿岸南部(現在の陸前高田市・大船渡市・住田町)の地名で、江戸時代は仙台藩の領地でした。ここに集まって住んでいた大工たちは気仙大工と呼ばれ、仙台藩内の有力者の邸宅や寺社仏閣の建築に携わっていました。彼らは木工の高い技術と豊富な経験、強い結束力を誇り、時には他藩の災害復旧や施設建築のために出張することもあったといいます。こうして気仙大工の技術力は藩の内外で知られるようになり、そのブランドは現代にも受け継がれているのです。

もともと気仙地域は、良質な杉やヒノキなどが育つ山林と川に恵まれていました。こうした自然環境を生かして、木の伐採から製材まで行う「木挽(こびき)」や、建築・木工に携わる大工の割合が増え、代を重ねるうちに高い技術を持った職人集団になっていったと考えられています。

全国的に見ると、気仙大工のように大工が集まって住んでいた地域は他にもあります。たとえば、山形県の「小国大工」、長野県の「木曽大工」、船大工の集落だった新潟県佐渡島の宿根木などが有名です。その他、江戸時代の城下町では職業別集住制がとられていたため、当時、大工たちが多く住んでいた「大工町」という町名が、現在も全国各地に30ヵ所以上残っています(青森県弘前市大工町、茨城県水戸市大工町、石川県金沢市大工町、京都市下京区大工町、香川県高松市大工町……など)。

大工たちが集まって形成された日本の「五大家具産地」

また、大工たちが集まって住んでいた地域は、日本を代表する家具の一大産地にもなっています。なかでも、五大家具産地として有名なのが「北海道旭川市(旭川家具)」「岐阜県高山市(飛騨家具)」「静岡県(静岡家具)」「徳島県徳島市(徳島家具)」「福岡県大川市(大川家具)」の5地域です。

【北海道旭川市/旭川家具】

明治時代末期に北海道開拓を目的として、本州から多くの大工が旭川周辺に移住してきたのが始まりです。北海道の豊富な森林資源に加え、戦後に木材の機械乾燥が普及して材料の品質が安定したことで、日本を代表する家具産地へと発展しました。

【飛騨家具/岐阜県高山市】

豊富なブナ材の有効活用を目指し、大正時代に地元の有志が出資して「中央木工株式会社」を設立したのが基礎となっています。曲げわっぱの技法を用いた「曲げ木加工」でイスを製作したのが始まりで、独自の技法を生かしたイス・テーブル・机など、脚のある家具をメインに生産しています。

【静岡家具/静岡県】

静岡県内に多くの家具メーカーがあり、徳川家光が静岡浅間神社の大造営を行った際に、各地より移住してきた大工たちが源流となっています。漆塗りの技法を生かした鏡台や、茶箪笥の産地として古くから知られており、桐の和箪笥や唐木仏壇の産地としても有名です。

【徳島家具/徳島県徳島市】

明治時代の初期、阿波藩の船大工だった職人たちが、家具製造を開始したのが始まりとされています。明治中期に鏡台が関西地区で人気となり、阿波鏡台の名で全国的に知られるようになりました。現在は、高級唐木仏壇の産地としても知られています。

【大川家具/福岡県大川市】

筑後川周辺に住む船大工が製造していた箱物が元祖とされ、その歴史は室町時代までさかのぼります。ただ、現在の大川家具の基礎を築いたのは、江戸時代後期に長崎から細工技法を持ち帰った田ノ上嘉作といわれています。現在は、量産家具メーカーがさまざまな種類の家具を手がけており、生産高では日本一を誇ります。

今なお生き続ける大工職人の伝統儀式・行事

【釿始式/ちょうなはじめしき】

日本各地の正月行事のなかで、大きな材木をまつる珍しい儀式があるのをご存じでしょうか。それが、建築職人の伝統文化を伝える「釿始式」です。鎌倉時代に始まったとされる釿始式は、もともと建築工事の初めに安全を祈願する儀式で、現在は建築職人の仕事始めの年中行事として、全国各地の神社などで1月5日ごろに行われるようになりました。古式に準じた儀式では、正装の職人たちが昔ながらの道具を使って、1本の大きな材木に「切り」「測り」「削り」「仕上げ」など一連の所作を行い、木材の魂を鎮めて今年1年の工事の安全を祈ります。

【太子講/たいしこう】

先述したように、聖徳太子は法隆寺をはじめとする多くの寺院を建立し、建築の神様として古くから信仰されていました。そうした背景から、室町時代末期になると、聖徳太子の命日とされる2月22日(旧暦)を「太子講」の日と定め、大工や木工職人の間で講(経典の講義をする会)が行なわれるようになりました。その後、太子講は1年の仕事の無事を願うとともに、それぞれの同業者集団の結束を固める会として全国に広まり、江戸時代には大工・左官・鍛冶屋・桶屋などの間で盛んに行われるようになりました。現在、一部の神社や団体がその伝統を継承していますが、職人の減少とともに太子講を行う地域も減りつつあるようです。

ちなみに、太子講でまつられる聖徳太子像は、一般的な太子像とは異なり、差し金(曲尺)を持った姿で表されています。聖徳太子が中国から持ち込んだとされる差し金は、現在も大工仕事に欠かすことのできない重要な道具であることから、建築・木工の守護神たる聖徳太子を表すシンボルとされています。

さまざまな専門職種に分かれている大工職人の仕事

冒頭でも触れた通り、大工にはさまざまな種類(専門職種)があります。大工の歴史をたどる中でも、時代とともに、その仕事が細分化・専門化されていったのがわかります。

では、大工にはどのような種類があるのか、詳しく見ていくことにしましょう。

【宮大工】

主に神社仏閣の建築・修繕を行う大工を指します。釘を使わずに接木を行う「木組み」などの伝統技法を用いるため、大工の中でも専門的な知識と卓越した技術が求められます。国の重要文化財の解体や補修に携わることも多く、経験を積んだベテランの宮大工の中には、年収1000万円を超える職人も珍しくありません。

【家屋大工】

在来工法を用いた一般的な木造住宅の建材加工・取り付けを行う大工。家大工・木造大工・住宅大工とも呼ばれ、家屋の上棟から最終仕上げまでの木工事全般を担います。最近は各工程を下請け業者に依頼するケースも多いため、それぞれの業者を束ねるのも家屋大工の仕事となっています。

【建具大工】

障子やふすまなどを製作する大工で、表具師とも呼ばれます。和室が減っている近年、建具大工の数は減少傾向にあり、とくに伝統的な欄間(らんま)を製作する彫り物大工は、技術の継承者が途絶えつつあります。

【数寄屋大工】

茶室を専門につくる大工を指します。木造軸組工法などの専門技術とともに、茶道についての知識や、わび・さび・粋といった趣を表現する感性も求められます。また、茶室の炉(ろ・いろり)を専門に手がける職人は、炉壇師(ろだんし)と呼ばれます。

【家具大工】

家具全般を製作する大工で、指物(さしもの)師とも呼ばれます。江戸時代に他の大工職から派生した職種で、当時は階段タンスなどの収納家具や、ちゃぶ台などを手がけていました。明治時代になると、横浜や神戸を中心にイスやテーブルなどの西洋家具をつくる職人が増え、そうした職人たちが全国各地に仕事の場を広げ、家具の一大産地を築いていきました。

【造作大工】

主にRC構造の住宅やマンションにおける、壁・床・天井・窓枠・巾木などをつくる大工。建設会社の下請けとして契約し、短い工期で新たな現場を次々と回って仕事をするケースが多く、家屋大工と兼務している職人もいます。

【型枠大工】

コンクリートを流し込むための型枠を造る大工。鉄筋・鉄骨コンクリート造のビルや橋、トンネルや高速道路など、大型建造物の骨組みをつくる重要な役割を担っています。

【船大工】

木造船(和船、帆掛け舟、屋形船など)の建造・修理を行う大工で、船番匠とも呼ばれます。昭和40年ごろまでは、水上運搬に木造のダルマ船が使われるなど、生活の中で身近な存在だった木造船ですが、近年はその数も需要も大きく減り、技術伝承者もほとんどいないのが現状のようです。

大工職人たちが伝えてきた日本の建築技術と心を後世へ……

最後に──

世界最古の木造建築である奈良の法隆寺に代表されるように、日本における木造建築技術は古代から高度に発展していました。たしかに、当初は大陸から伝来した技術ですが、日本の木造建築が独自の高度な技術をもって、大きな進歩を遂げたのは事実でしょう。

たとえば、釘をいっさい使わず、木材の切り口を組み合わせてつなぐ「木組み」の技法は、日本で独自に進化した木工技術です。この木組みは、基本的な技法だけでも約40数種類あり(仕口・継手など)、どのような仕組みでつなぎ合わせているのか、見ただけではまったくわからないものもあります。

さらに、これらの技法で建造された木造建築物は耐震性が高く、1400年以上の歴史を誇る法隆寺五重塔をはじめ、国内の五重塔が地震で倒れたという記録はいまだにないそうです。日本が地震大国であることを考えると、これは驚くべき偉業といっても過言ではありません。

そして、これらの高度な建築技術を支え、今日まで伝えてきたのは、無名の大工職人たちだったのです。

ここ近年、都市部ではコンクリート造のマンションやビルの建設が主流となり、木造建築を手がける大工の活躍の場は減っているようにも見えます。その一方で、大工たちの手仕事によって屋根の木材を組み上げた新国立競技場(※)など、ぬくもりのある木造建築を見直す動きが国内外で高まっているのも事実です。

建築業界のオートメーション化・AI化がどれほど進んでも、人々の暮らしを豊かに満たすモノづくりは、それをつくる人の繊細な技や感性がなければ成し得ません。そんなモノづくりの心とともに、日本が誇る伝統の建築技術・文化が、これからも受け継がれていくことを願うばかりです。

※新東京国立競技場……2020年に東京で開催されるスポーツイベントのメイン会場として、建築家の隈研吾氏が設計。観客席を覆う長さ62メートルの円形屋根に、大量の国産木材と鉄骨を組み合わせたハイブリッド構造を採用し、木のぬくもりに包まれた大空間を実現。法隆寺や東大寺など、日本の木造建築文化を発信する「杜のスタジアム」として、海外の建築界からも注目されています。

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