山口県が誇る伝統的工芸品『赤間硯』とは? 継承する職人の仕事ぶりをご紹介
2020.06.16人類が物事を書き記すために使われてきた筆記具。近年、鉛筆やシャープペンシル、ボールペンなどの筆記具が文字を書く際に使われますが、古来日本では硯(すずり)で墨をすり、筆で文字を書くことが当たり前でした。そして、それらは現代でも書道の用具として使われていますし、なかでも硯はたいへん丈夫なもの。きちんと手入れをすれば品質は変わらず長く使い続けることができるため、大切にされてきた文房具のひとつといえるでしょう。
硯が中国から日本に伝来したのは飛鳥・奈良時代といわれますが、鎌倉の鶴岡八幡宮には源頼朝が奉納したと伝えられる、山口県の伝統的工芸品『赤間硯(あかますずり)』が残されています。このため鎌倉時代には赤間硯はすでに作られており、ゆうに800年以上の歴史があると考えられているのです。
今回は、和硯を代表するひとつである『赤間硯』についてご紹介します。
赤間硯とはどのようなもの?
赤間硯はかつて山口県の下関市と宇部市で作られていました。現在は職人も少なくなり宇部市の一部で制作されています。習字や書道などで使用される際の硯は一般的に黒色のものが多いのですが、赤間硯はえんじ色や小豆色に近い美しい赤紫色をした落ち着いた色合いが特徴です。
材料となる原石は赤色頁岩(せきしょくけつがん)という種類の赤味がかった石。赤間石とも呼ばれる緻密で硬い石質は硯に最適で、墨を細かく早く削ることができます。また、この石は粘り気が強いので彫刻がしやすく、竹や梅などの意匠を施した硯や蓋付きの硯が作られていることでも知られています。
鎌倉時代からの古い歴史があるだけではなく、その品質と使いやすさ、巧みな飾りが彫られた美しさなどから、芸術性がありながら実用性の高い高級品として名を馳せています。
すべての作業は一人の職人の手による
作業工程は、原石の赤色頁岩を掘り出して採石し、加工できる石の選別から始まります。硯の大まかな形を決める縁立て(ふちたて)、大きなノミで削るため力が必要な荒彫り、さまざまな彫刻を施す仕上げ彫り、さらに最後の仕上げとなる磨きや漆塗りまでと十数工程におよびます。
これらの工程は昔と変わらず手作業であり、しかもすべてを一人の職人で行うのが、伝統的工芸品である赤間硯の制作の特徴です。工程では極細から極太までのサイズの異なるノミやタガネなどの道具を、その作業に合わせて使用していきます。
このような卓越した熟練の技術は親や師匠から伝統として代々受け継がれ、1976(昭和51)年に赤間硯は経済産業省より山口県の伝統的工芸品に指定されました。
では、優美な姿の赤間硯がどのようにできあがっていくのかをご紹介しましょう。
火薬も使用する採石
赤間硯をつくるためには、まず、赤間硯の原石である赤色頁岩を採石しなければなりません。
原石は六千年以前の白亜紀の時代に噴火した火山灰が堆積したものといわれ、山の中で厚さ1~1.5mほどの層で斜めに走っています。これを「坑道掘り」という方法で穴に入って石を掘り出しますが、この穴はたぬきの住処のように狭く長いため“たぬき掘り”とも称されます。ふだんは坑内に水が溜まっており、原石は坑道内に水没しているので、採石時には水をポンプで汲み出してから穴に入っていきます。
次に、火薬を使って岩にひびを入れ、ハンマーや電動ドリルなどで割って採石します。ハツリを使うこともあるそうです。ここで重要なのが、石の見極めです。原石は水に長い間浸かっていたため、肉眼ではその良し悪しが確認できません。そこで採った石は叩いてその音を聴き、硯に適しているかどうかを見極めるのです。これぞ赤間硯職人としての経験と勘が必要な難しい作業といえますが、彫りだした石は板状に割って、乾燥させないよう注意して保管します。
このように、赤間硯を作る職人はただ彫刻を施すだけではなく、原石を採石するために火薬を扱う免許や採石の許可が必要であり、よい石を見分ける観察眼も要求されるのです。
形づくり・じぎり・縁立て
硯には丸形や四角型、楕円形、また、石の形をそのまま利用した自然形などのいろいろな形があります。板状になった石はタガネという小型ノミを使い、不要な個所を削って硯の大きさを決めていきます。硯の大きさを決めたら、大きなノミやハンマーでだいたいの形づくりをします。
次に、硯の厚さの調整です。先に硯が同じ厚さになるように大ノミで表と裏を平らに削ります。その後、研磨盤に乗せて、砂や水を流しながら表面を滑らかに加工します。これを「じぎり」といい、硯のバランスをとる作業です。
その後、縁立て(ふちたて)という工程に移ります。丸型や四角型などの硯の形に沿って、内側を3mmくらいの深さに切り込んで削る、つまり、硯に縁を立てる作業です。これには縁立てノミを使います。
硯の中で墨をするところを陸(おか)といい、墨が溜まるところを海(うみ)といいますが、この位置をどこにするかも縁立てで決まっていきます。
荒彫り・仕上げ彫り・加飾彫り
大きなノミで陸(おか)と海(うみ)の場所を削って、硯の内側の形づくりをする作業が荒彫りです。職人は肩にノミの柄を押し当て、自分の体重をかけながら力を入れて彫っていきます。硯職人の肩や胸にはこのノミ使いによるタコができているそうです。
仕上げ彫りでは、さまざまな大きさのノミを5~10本ほど使い分けて陸(おか)と海(うみ)を丁寧に彫ります。ノミは小さなサイズだと幅2mm〜というから驚きですし、どの道具も硯職人がそれぞれの体に合わせて自分でつくったオリジナルだそう。体の大きさや力の入れ具合が人によって違うので、使うノミもその人ごとに違うというわけですね。
また、陸(おか)と海(うみ)の境目は波止(はと)と呼ばれます。陸(おか)ですった墨がスムーズに海(うみ)に落ちるよう、波止(はと)をなだらかなカーブ状に削るのですが、ここが硯職人としての腕の見せ所。工程の中で最も難しいところだといわれています。その後、清ノミ(きよのみ)という幅の広いノミを使って、彫った跡をなめらかにします。
赤間硯は石にねばりがあるため繊細な彫刻を施すことができ、硯には珍しい蓋やその蓋のつまみをつくることも可能。デザインや石の形に合わせて伝統的な技法である浮かし彫り、毛彫りなどの加飾彫り(かしょくぼり)を施し、美しい硯に仕立てます。
磨き・仕上げ(うるしぬり)
彫り上げた後は磨きの工程に移ります。
粗めの砥石に水をつけて硯の表面を磨いたあと、意匠を凝らした細かい部分はサンドペーパーで磨きをかけます。蓋付き硯など精緻な細工を施した硯の磨き作業はすべて手作業で、なおかつ水を使わなければならないため、冬場の磨き作業は手が凍えそうになるといいます。
陸(おか)と海(うみ)もなめらかにしますが、ツルツルにしすぎると墨がすりにくくなってしまうため、最後は目立て石で磨いて仕上げます。すると、目に見えないミクロのやすり状の凹凸である鋒鋩(ほうぼう)がみっしり立つので、早く墨がすれ、発色のよい墨色になるのです。
仕上げに、墨が乗る陸(おか)と海(うみ)以外のところに漆や代用漆のカシュ―を均一に薄く塗りつけ、布で拭き取ります。この工程を2~3回繰り返すと硯の風化が防止され、ツヤと光沢を出すことができます。
これで優美な文様を持つ赤間硯の完成です!
デザインにもよりますが、緻密な装飾を施した赤間硯になると制作に何日もかかるそうです。
赤間硯職人として
赤間硯の制作には、非常に多くの職人技を要する工程が必要であることがおわかりいただけたでしょうか。
さらに、職人はいくつかの資格も有していなければなりません。採石には許可が必要であり、採掘権は代々赤間硯職人にだけ認められているもの。また、採石時に火薬を用いることから「危険物取扱者」の資格も必要です。
採石した石の質を選別する目を養い、彫刻する技術を身につけ、赤間硯職人として一人立ちするには、一般的に10年の年月を要するといわれています。
また、硯職人や作硯家の制作時の服装には特に決まった制服やユニフォームなどはありませんが、採石時には坑道に入り火薬も扱うため、ヘルメットを着用し、水に濡れてもよい長靴などを履いて、作業着を着ます。さらに採石時や彫刻する際には粉塵が飛散することも多いので、近年の作硯家は作業に適した作業着・作務衣などを着ているようです。
赤間硯の工程や技法は昔からほぼ変わらず、脈々と弟子や子に受け継がれてきましたが、ほかの伝統的工芸品と同じく、伝統工芸士の高齢化と後継者不足が問題となっています。
そこで近年、宇部市教育委員会ではいくつもの赤間硯を保有し、小学校の書道の時間に貸し出しているそうです。これは実際に赤間硯を使うことで山口県に伝わる逸品としての美しさを感じ、墨のすり心地を感じてもらおうという取り組み。子どもたちはいつもとは違う硯に対し、自ずとていねいに扱うことによって、将来を担う子どもたちが本物の伝統的工芸品に触れるよい機会になっているようです。
── 隣国中国では、紙や筆、墨、硯は「文房四宝」と呼ばれ、大切にされています。日本でもかつて手紙を書くにはこの4点が必須でしたが、時が経つにつれ、学校での習字の時間やカルチャーセンターでの書道教室などで使われるくらいになってしまいました。
ゆっくりと腰を落ち着け、力を入れることなく硯の陸(おか)に水を垂らして心静かに墨をする。色が濃くなったら海(うみ)に落とし、好みの色が出たところで書をたしなむ……。文字を書く機会が減ったからこそ、そうした時間は贅沢であり、ゆとりの時間だといえるでしょう。
芸術的でありながら実用的な用の美でもある赤間硯。小豆色のモダンな形や華麗な意匠などバラエティ豊か。気になる方はぜひ本物をチェックしてみてはいかがでしょうか。
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