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江戸時代に遡る作業服の始まり。火事装束をまとった「火消」とは、一体どんな仕事?

作業服とは文字通り、作業をする時に着る服のこと。
日本では、江戸時代に活躍した「火消(ひけし)」たちが火災の際に着用した仕事着である火事装束(かじしょうぞく)が、作業服の始まりといわれています。

実はこの「火消」、江戸時代の市民にとって憧れの職業でもありました。時代劇を見ると、大きな飾りがついた「火消棒」を勢いよく振り、纏(まとい)を羽織り、わらじに頭巾の出で立ちの「火消」が登場することがあります。そんな彼らが主に担っていた仕事は、現在の消防士のような「鎮火」ではなく、あくまで「延焼」を防ぐための活動でした。
それは例えば、木造家屋が林立していた江戸の町だけあり、いったん炎が発生するとすぐに隣の建物に火が燃え移ってしまうため、炎が広がらないよう大きなうちわで風の向きを変えたり、大型工具で隣の建物を壊して、燃えやすい物を撤去するといった活動だったのです。

「火事と喧嘩は江戸の華」といわれた江戸時代の花形職業だった火消の仕事に今回は注目してみましょう。
当然ながら、江戸時代のことですから現在、消防士が身につけている作業着と大きく異なり、防火・耐火機能は備わっていませんでした。ということで、本記事では、現在の消防士の服装についても少しご紹介することにしましょう。

火事と喧嘩は、江戸の華

「火事と喧嘩は江戸の華」の言葉通り、江戸の町では火災が頻繁に発生しました。中でも、1657(明暦3)年の「明暦の大火」、1772(明和9)年の「明和の大火」、1806(文化3)年の「文化の大火」の被害は甚大で、「江戸三大大火」と呼ばれています。
 
でもなぜ、江戸で火災が多発したのでしょう? 原因はいくつか考えられます。

①人口の増加と建物の密集化
幕府が開かれて以降、江戸に人口が集中し、多い時では100万人を超していたといわれています。同じ頃のロンドンの人口は86万人、パリの人口は54万人でしたから、数字を単純に比較するだけで、江戸の人口の多さがお分かりいただけるのではないでしょうか。当時の住まいは、長屋と呼ばれる集合住宅で、他の大都市とされる京都・大阪などと比較しても、東京は突出して住宅の密集度が高かったこと、また木造で燃えやすかったことなどから、火災が発生すると一気に炎が広がってしまう状況にありました。

②気象条件
江戸時代も現代と同じように火災の多くは空気が乾燥している冬に発生しました。さらに、冬から春先にかけても強い強風(からっ風)が吹きつけ、空気の乾燥状態が長く中で降雨量が少ないとなると、木と紙の燃えやすい材質で構成された家屋はカラカラの乾燥状態に置かれます。そうした環境下で、薪、ろうそく、行灯の裸火による失火が発生すれば、おのずと炎は一気に燃え盛り、大火になってもおかしくはありませんでした。

③放火
江戸の火災の原因として、放火が多かったことが記録として残っています。生活困窮者や、男女関係のもつれによる怨恨など、放火の動機はさまざまですが、なかには風の強い日に火を放ち、火災の騒ぎに紛れて盗みをはたらく火事場泥棒も横行。こうした物騒な火事が相次いだことで幕府の厳罰を処する方針を定めます。有名なところでは、1683年に現文京区あたりで発生した「お七火事」と呼ばれる大火災があります。── お七と庄之助は恋仲にありましたが、ある理由で離れ離れになってしまいます。庄之助への恋しさを募らせたお七は「自宅が火事になれば、また庄之助に会えるかもしれない」という思いを抱き、自宅に火をつけてしまうのです──。

もしかしたらお七は、ぼや程度の火災にとどめたかったのかもしれません。しかし、思いの外の大規模火災となってしまい、当時の法律に則って、お七は火あぶりの刑に処せられてしまいます。こうしたエピソードを伴う江戸の火災は数多く、今もさまざまな史料に残されています。

花形職業「火消」の登場。消防署の“元祖”は「定火消」

多発する火災を処理するために、「火消(ひけし)」と呼ばれる消防組織が生まれました。火消は、武士によって組織された「武家火消」と、町人によって組織された「町火消」に大別されます。さらに武家火消は、幕府直轄の「定火消(じょうびけし)」と、各大名に課せられた「大名火消」に分けられます。

初めて火消が組織されたのは三代将軍 徳川家光の治世下でした。このとき組織されたのは「奉書火消(ほうしょびけし)」と呼ばれる火消。火事が発生してから奉書という将軍の命を受けた諸大名が、家臣を連れて消火にあたるというものでした。

ただし、上記のように消火にあたるまでにいくつかの段取りが必要になるため、奉書火消は迅速さに欠けていました。さらに、集められた家臣はとくに火消の訓練を受けたわけでもなく、有効な手立てとはならなかったといいます。家光はその後、奉書火消を制度化し、大名16家、4組からなる「大名火消」を組織。時代は1643(寛永20)年のことです。

1657(明暦3)年に発生した明暦の大火は、江戸の町をほとんど焼けつくす大火災として知られます。幕府はこの火災を機に火消組織を強化します。これが「定火消」で、4人の旗本を選抜し、江戸周辺に火消屋敷を4か所設け、火事が起きたらすぐに出動できる態勢を整えます。これが、現在の消防署の“元祖”といわれています。

さらに1718(享保3)年、町人のための消防組織として、町奉行・大岡越前守忠相によって「町火消」が組織されます。このとき、江戸の町を20町程度に分割し、隅田川を堺とした西側を「いろは」の記号を付けた47組(のちに48組)が、東側の本所・深川を16組が担当。費用はすべて各町内で負担することになりますが、担当区域内の火事はその中で消し止めることが徹底され、町火消は互いの名誉をかけて働くようになりました。

命知らずで粋な火消は町人にとってのあこがれの職業であり、彼らが活躍する火災の場面では、その人気ぶりと、火災の様子を見学する大勢の人によって、通りが埋め尽くされることも珍しくなかったようです。

江戸時代の消火活動は鎮火ではなく、破壊活動!?

竜吐水(りゅうどすい) ※イメージ

現在のような消防車やホースやポンプなどの道具もなく、消防技術も発達していなかった江戸時代。そのため火災が発生すると、火元より風下の家を壊して延焼をくい止める「破壊消防」を基本としていました。

この活動では、とび口や大のこなどの道具を扱わなければならなかったため、とび職などの土木や建築関係の職人が活動の中心となりました。

【火消の7つ道具】

●纏(まとい)
火消組のしるし。組ごとにデザインが異なります。現場に到着するとまず、纏持が風下の屋根に上って纏を振り、「この家までで火をくい止める」ことを宣言します。これを「消口を取る」といいます。また、それを証明するための「消札」も現場に立てました。

●竜吐水(りゅうどすい)
手押しの放水ポンプ。放水能力は現代と悲観してかなり貧弱といえるものでしたが、猛火の中に飛び込んでいく火消たちの士気を高めるのに大いに役立ったといわれています。

大団扇
迫りくる火の粉を払う道具。また、火が延焼する方向に向けて風が吹いた時は、炎の行き先をコントロールするために大団扇を仰ぐことも。

はしご
纏を掲げる際や、消火活動に使用。燃えやすく折れやすい古い竹ではなく、真新しい青竹のはしごが用意されました。

●とび口
トビの嘴(くちばし)のような形状の鉄製の穂先を長い柄の先に取り付けた道具。とび口で柱などの木材を引き倒し、延焼を防ぐために家を破壊する際に使用。

●刺又(さすまた)
重量のある家の柱や棟木を倒す際には、大刺又を用いたといわれ、とび口と並んで家を破壊するための道具として使用。

●玄蕃桶(げんばおけ)
竜吐水などに水を運ぶ道具。また、猛火に飛び込んでいく火消たちが水をかぶる道具としても使われました。

本来は火災の延焼を防ぐための道具であった「とび口」「刺又」ですが、「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉の通り、火事以上に「喧嘩」が多かった江戸時代。よって、喧嘩を仲裁する際に、怒り狂って暴れる喧嘩の当人を押さえつけるため、「とび口」「刺又」が用いられることもあったよう。実際に現在も、警察や警備会社などでが犯人を追い込み、相手の動きを封じ込める場面で、伸縮性の護身用装備「刺又」が使用されています。

刺又(さすまた) ※イメージ

火消と消防士の服装

話を作業着に戻しましょう。

火災時に着用する服を火事装束と呼び、町火消と武家火消では装いが異なります。

〈町火消〉 半纏(はんてん)/手袋/股引/頭巾
布は、綿布を重ね合わせて一面に一針抜きに細かく縫った「刺子」と呼ばれる加工が施されており、非常に頑丈に作られています。半纏や頭巾には大きく組のロゴが入っており、燃え盛る炎の中でも、見物人でごった返す中でも、ひと目でどこの組の者か即座に識別できる役割も。燃え盛る炎へ突入する際には、服にたっぷり水を含ませました。

〈武家火消〉 火事兜/羽織/胸当/野袴
大名火消や定火消の役を命ぜられた大名や旗本は、初期には戦国時代の鎧と兜を着用して現場に向かいました。その後、重い兜に代わって火事用の兜が使用されるようになり、そこに羽織、胸当、野袴を身につけたとされています。野袴は武士が旅行に出かける際にも用いられた袴で、擦り切れたり、汚れがついたりしないよう、裾に黒いビロードの太い縁が縫い付けられていました。

動きやすさを追求した町火消の火事装束に対し、武家火消は華美な装いでした。なぜそのような違いが生まれたのかといえば、実際、消火活動に当たったのは火消人足(にんそく)と呼ばれる労働者で、武士の役目は消火活動の指揮や警備だったからです。

〈消防士〉
現在の消防士は、炎や煙などから体を守る機能を備えた防火衣を着用しています。災害の状況や任務内容に応じた数種類の防火衣があります。防火衣は国際標準化規格ISOを基に耐火性・防水性にすぐれた素材で作られており、安全靴、手袋、安全ベルト、酸素ボンベなど、すべての装備を身につけると約20キログラムにもおよびます。

江戸から続く儀式“出初式”

最後に、江戸時代から現在に引き継がれている火消たちを由来とする伝統の儀式をご紹介しましょう。

それは出初式(でぞめしき)です。

出初式は、消防関係者が行う仕事始めの儀式で、上野東照宮で行われた定火消によるものが始まりといわれています。明治時代までは毎年1月4日に開催されてきましたが、現在は1月6日が恒例となっています。

現在行われている一般的な出初式では、一斉放水などの消防演習に加え、消防車・消防団のパレードなどさまざまな催し物が用意されています。中でも木遣歌(きやりうた)や、はしご乗りなどの伝統芸能は、一見の価値があります。木遣歌は労働者が歌う民謡で、はしご乗りは高さ6m以上のはしごの上で、消防職員や消防団員がさまざまな技を披露します。

── 日本における作業服のルーツをみてきましたが、それは消防の歴史にもつながっており、江戸時代から続いていることがわかりましたね。
火消から消防士へと呼び名は変わっても、命を懸けて私たちの暮らしを守ってくれている姿や志に変わりはありません。彼らの仕事には本当に頭が下がります。

尚、先に紹介した出初式は、各市町村で行われています。次のお正月にはぜひ、感謝の気持ちを込めて出初式に足を運んでみてはいかがでしょう。

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